真言宗豊山派

佛性山曼荼羅院金剛寺(ぶっしょうざんまんだらいんこんごうじ)

 本山を奈良県長谷寺とする仏性山金剛寺 (曼荼羅院)は小川村高府に所在する真言宗豊山派寺院である。
この地方の歴史と共に深い由緒を有する寺歴七百五十年余りの名刹である。
鎌倉時代建長三年(1251)、僧覚心が開山したと伝えられている。

 以来、戦国の世にかけて村上氏・武田氏・上杉氏の興亡や戸隠三院の遷座のある中で寺や本尊を失い、さらには三十幾年、当寺は蕗畑菅沼への非難の生活を余儀なくされた。
殊に天文五年(1536)の小川・香坂等の合戦により、当寺は兵火に遭い焼尽し、諸記録・什宝悉く失った。
その為、当寺の縁起・由来等の詳細を知ることが出来ない。

 合戦後、小川城主大日方長利は金剛寺中興一世俊算法印を招請(1551)して、今の地に法灯を継ぎ再興した。
慶長二年(1649)、徳川幕府より初めて高十三石・山林・竹林・諸役免除の朱印状を釈迦堂(金剛寺)に賜った。
その後本尊大日如来は文化六年(1809) 世外権僧正栄性が十世栄賢の死を悼み十一世栄伝初年に開眼したものである。

 明治に入り、第十五世栄昭の代、明治三十九年(1906)、失火が元で本堂・釈迦堂・庫裏を焼失する。
幸いにも本尊大日如来・釈迦如来等は避難し災いを免れた。

 現本堂は釈迦堂を併設し、焼失八年後大正二年(1913)に再建され、更に大正十三年(1924)鐘楼・梵鐘(現梵鐘は昭和二十七年に掛かる)も設置されほぼ現伽藍が完成された。
それ以来数十年、住職・壇信徒一同、金剛寺護持の心に迷いなく改修維持をもって今日に至っている。