第十九世榮嶽法印追善供養
大正九年(1920) 十八世榮山法印の長男として生まれ、
幼名を猛といった。
龍法寺は上田市の烏帽子山麓の旧芳田村の小井田という集落にあり、真言宗殿城村龍水寺の末派で創建年月は不詳だが、寺傳によると天正年間真田氏によって創建されたと伝えられている。
烏帽子岳のすそ野で寺の規模は小さかった。
昭和十三年(1938) 十八歳で大正大学へ入学。 榮嶽と改名する。
昭和十七年(1942) 二十二歳 大正大学を卒業し龍法寺住職となる。
昭和十八年(1943) 二十三歳 招集され満州で兵役に就く。
昭和二十年(1945) 二十五歳 満州から無事復員して地元の殿城村(上田市殿城)の豊里支所に勤務しながら龍法寺の住職をつとめる。
昭和四十七年(1972)五十二歳 殿城村は上田市と合併して上田市役所勤務となる。
昭和五十一年(1976) 五十六歳 金剛寺第十九世となる。
住居を上田市の龍法寺に置きながらの兼務であった。師は大変な読書家で寸暇を惜しんでは学問に励んでいた。そんなところから平成二年からは上田市の博物館長を勤めた。
平成七年(1995)七十五歳で住職を退任し、後任の榮仙法印に道を譲る。
平成十二年(2000)八十歳 上田市にて遷化した。
戦争・敗戦・戦後の復興と激動の時代の、さまざまな困難を乗り越え、寺に尽くした功績は大変大きく、感謝をこめてここに追善供養する。